>パート1はコチラ< 月イチぐらいのペースで開催されている、浅草東洋館の早朝寄席へと。
2018/03/06(火)
まちがって『トヨタ産業技術記念館』に行ってしまった話【前編】
名古屋での用件が中途半端に早く済んでしまった…
新幹線の時間まで、まだけっこう余裕がある。チャンス!名古屋にはたしかトヨタの記念館があって、そこには動態保存状態パーフェクトな“トヨタ2000GT”があるんじゃなかったっけ?違ったっけ?
時々このブログで旧車・絶版車を取り上げているのですが、まだ2000GTを紹介できていない…クルマ部を名乗っていながら、これは少し恥ずかしいのでは?
なんとなく違和感!?
早速スマホで『トヨタ 記念館』と検索。栄生駅のすぐ近くじゃないか!名古屋の土地勘は全く無いけれど、栄生駅って名古屋駅のすぐ近くでしょ?時間的にもバッチリ。
栄生駅を降りてすぐ、赤いレンガが見えてきました。
歴史、感じます。トヨタ自動車はもともと織物(はた織り)の機械を作っていた会社だったはず。いかにも日本の近代化とともに歩んできた企業という雰囲気。
ああ、この奥に、日本のクルマ史を飾る名車の数々が!ついに、憧れの“トヨタ2000GT”の姿をフィルムに、いやSDカードに刻み込むことができる…
笑顔も爽やか、めっちゃ美人な受付のお姉さんに、写真の撮影OKかどうかの確認を取りつつ、「2000GTも展示してあるんですよね~たしか」みたいな探りを入れてみる。
すると「あの…お客さんの仰っている、それは多分、長久手市にある“トヨタ博物館”のほうではないかと。…ここは“トヨタ産業技術記念館”なんです。」
知らなかった…名古屋には2つの『トヨタの展示会場』があるのですね。
車に興味のない彼女を無理矢理に連れて行って、帰り道に「せっかくの休日が台無しよ!」とブチ切れられたりするためのデートスポット(クルマ好きあるある)がトヨタ博物館で、こちらはどうやら郊外学習に来るようなところっぽい。
パンフレットも世界各国向けに加えて、子ども用のもあるし。
間違えたみたい。2000GTがあるのは長久手市にある『トヨタ博物館』のようです。非常に申し訳なさそうにしてくださってる美人受付さん。いやいや、悪いのは僕。よく調べないで来てしまった僕のせいです…
トヨタの創始者、豊田佐吉氏の胸像も「せっかくなんで見ていけよ!」と語りかけて下さっているよう。長久手はちょっと遠いみたいだし。そんなに時間があるわけでもないし。せっかくなので、この“トヨタ産業技術記念館”を見ていきましょう…
興味なくても楽しめます!!
この時点では、正直あまり気乗りしないまま館内へ。
館内で写真を自由に撮れるのは嬉しい!NGなところも意外と多いんですよ。あのポール・マッカートニーでさえ、ライブ中の写真OKなご時勢なのに。
入館すぐに目に入ってくるのは、
綿です。綿花。
先にも書いたとおり、トヨタといえば元々は織物の機械を作っていた会社。
スタッフのお姉さんが、『糸紡ぎ』の方法について説明&実演してくださいます。これ、すごくタメになりました。
“紡績”とか“紡織”とか、もちろん言葉は知っていますし、意味も分かっているつもりでしたが。じゃあ、実際に『綿をどうやって一本の糸にするのか?』っていうこと、全然知らなかったんです。
質問には丁寧に係りの人が答えてくださいますし、望めば体験もさせてもらえるし。
興味のない僕でも感心することばかり。編み物や裁縫などに詳しかったら、もっと楽しめるんだろうなぁ。
かっこいいメカが!
順路に沿って奥に行くと、
日本の織物、ますます近代化の様子が。
繊維や編み物に興味なくても充分に楽しめます、男の子なら。
並んでいるメカが凄い!カッコいい!!
見ているだけで楽しくなります、機械の数々。
今回は前・後編の2部しか記事の余裕がないので、細かく触れられないのが残念です。本当はもっともっとたくさんのメカ群が一堂に会している感じ。
その中で、さすがトヨタ!と思ったのは、
車の座席(シート)の作り方の解説!クルマ好き歴はそこそこ長いですが、シートがこうやって作られているなんて想像もしてませんでした!!
運転席ひとつ作るにも、こんなにも手間がかかっていたんですね。「新車の値段高ぇよ!」なんて、軽く口にはできなくなります…勉強になりました!
“トヨダ”の第1号車
ここからはいよいよ、
自動車のコーナー。いや、織機や巨大なモーター類を眺めているだけで、もう充分に元は取れているというか、おもしろかったんですけどね。
壁のパネルにはこんな言葉が―
『これからは自動車の時代だ。』
1921年、豊田佐吉氏の長男、喜一郎氏は最先端の紡織技術を視察するためにアメリカへ。しかしそこで氏が見たのは、街中を普通に走っている自動車の姿。当時の日本では自家用車なんて夢のまた夢。でも、有名な“T型フォード”は1908年に登場していますし。
モータリゼーションの波に衝撃を受けた喜一郎氏は、繊維機械を作り続けながら、国産エンジンの開発に取り組みはじめ…
最初に作った単気筒の小型エンジンを、自転車に取り付けて実験を繰り返したそうです。これが後に“世界のトヨタ”の原点だそう― すみません、クルマ好きとか言いながら、ぜんぜん知りませんでした…
まったく未知のジャンルに投資するんだから、すごい勇気がいったでしょうね。
シリンダーブロックでしょうか。
クランクシャフト。こうやって見ているのは楽しいけれど、イチから作り出すのは本当に大変だったでしょうね。。。
当時を再現するジオラマの数々。
車なのでもちろんボディも。これが後の『AA型乗用車』に繋がる試作車の『A1型』になるということ。ちなみにこの頃はまだ『トヨタ』ではなく、『トヨダ』だったそうです。
3月9日(金)公開予定の【後編】につづく