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【今から間に合う】80~90年代のバンドブームについて知ろう!

現在、社会でいろいろな決定権を持っている、いわゆる「大人たち」…40代後半から50歳手前のオジサンがまだ10代だった頃、日本中に『バンドブーム』が巻き起こっていました。1980年代~90年代の事です。

それまでは、どちらかというとサブカルチャー的でマイナーな存在だった『ロック』が、一気に日の目を浴びた時代です。

バンドブームはなぜ起こったのか?その原因・理由として、いくつかの要素が考えられます。

バンドブームが起きた理由

・オーディオ、コンポなどが充実し、安価になったことで若い人にも音楽を聴く環境が整った

・ギター等、それまでは高価だった楽器類が安価で手に入るようになったことから、音楽を聴くだけではなく、プレイすること自体も身近になり、自己を表現する活動の一つとして『ロック』というものが選択できるようになった。

・以前は『ロック=不良』のレッテルを貼られていたのが、ビートルズやGS(グループサウンズ)ブームに夢中になっていた世代がクッションになり、理解が広まった。

・今のようにインターネットなどはなかったものの、以前よりは海外の文化やファッション、流行などについての情報が入手しやすくなり、パンク/ニューウェーブといった、音楽的な素養や知識、経験がなくてもミュージシャンになれるという、音楽の底辺人口が拡大した。

 

他にもいろいろな理由を挙げることができると思います。こうやって身近になり、敷居が低くなった音楽=ロックが、大学生から、やがて高校生・中学生たちにまで手が届くようになったムーブメントが『バンドブーム』でした。

今、クリエィティブな仕事の先頭で活躍している40代~50代の人たちは、全員がなんらかの形で、絶対に『バンドブーム』に影響を受けています。

なのに、当時の音楽のことが語られる機会があまりにも少ないのは非常に残念なことです。小説や映画などの古典的名作が今でも若い人たちの間で語られているのに、名曲やミュージシャンたちの名前が若い人たちの口から出てこないのは寂しい限りです。

そこで、ここではひとまず、バンドブーム前後の『とりあえず押さえておくべきアーティスト』と『そのアーティストの聴いておくべきアルバム』を紹介していこうと思います。

RCサクセション

概要

1968年、忌野清志郎を中心にフォークバンドとして結成。70年『宝くじは買わない』でメジャーデビュー。デビュー曲はヒットしたものの、その後数年間はヒット曲に恵まれず、しかもレコード会社の騒動に巻き込まれたこともあって、一時期活動は完全に暗礁に乗り上げる。しかし清志郎にとって最強のパートナーといえる、元『古井戸』のギタリストチャボこと仲井戸麗市や、元『カルメン・マキ&OZ』のギタリスト春日博文らと出会い、フォークから徐々にロックへとシフトして復活。発売後すぐに廃盤となってしまったアルバム『シングル・マン』(1976年)の再発売を求める音楽関係者、ファンの署名運動などから知名度を上げていくと同時に、清志郎の、当時としては画期的な逆立てヘアスタイルとド派手なメイク、そしてライブパフォーマンスが話題を呼び、スマッシュヒットとなったシングル「雨上がりの夜空に」(1980年)や、坂本龍一とのユニットでの「い・け・な・いルージュマジック」の大ヒットで、一気に当時の若者たちのカリスマ的存在となる。

シングル・マン 1976年リリース、1980年再販

RCサクセションはバンドブーム世代とはいえませんが、バンドブームを語る上では絶対に外すことのできないバンドだと思います。

奥田民生、甲本ヒロト、斉藤和義などなど、忌野清志郎とRCサクセションに影響を受けたと公言するアーティストは数多く、その人たちのインタビューなどでもよく登場するアルバム『シングル・マン』は間違いなくロック史に残る、歴史的名盤です。

多くのRCファンが代表曲に選ぶ、ロックバラードの名曲「スロー・バラード」、ファンクなアプローチが今聴いても新鮮な「ファンからの贈り物」や、「ヒッピーに捧ぐ」等々…RCサクセションが単純にロックバンドという言葉では括りきれない、フォークであり、R&Bでもあり、今でいうところのオルタナ的な要素も含んでいる斬新なバンドだったということが分かるアルバムです。

EPLP(イーピーエルピー) 1981年リリース

RCサクセション、または忌野清志郎ソロ名義で、今では多くのベスト版がリリースされていますが、これが最初のベスト盤(シングル集)です。おなじみの曲「雨上がりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」「キモちE」、坂本九のカバーで、RC・清志郎ソロのライブの定番曲でもあった「上を向いて歩こう」といった曲が収められており、「とりあえず入門編にはコレ!」という一枚です。

COVERS(カバーズ) 1988年リリース

反核・反原発を織り込んだ過激な歌詞(今聴くとそうでもないですが)で話題になり、インディーズから発売されたという経緯を持つ一枚。

当時のロック界に「表現の自由」という一石を投じた問題作という評価がなされていますが、改めて聴くと、音楽的にも非常に良く出来たアルバムだと思います。

タイトル通り全曲がカバー曲であり、元曲はストーンズやボブ・デュラン、プレスリーといった洋楽の古典的名曲ばかりでもあるので、若い人ならこれを聴いてから原曲を聴いてみる、というのもオススメです。

いまだに街の有線などでも時折耳にする、越路吹雪(原曲はアダモ)のカバー「サン・トワ・マミー」も収録されています。

 

BOØWY

概要

『デスペナルティ』を経て『スピニッヂ・パワー』というバンドのヴォーカリストとしてデビューはしていたものの、どれもこれも泣かず飛ばずであり、失意のうちに田舎へ帰ろうとしてしていた氷室京介が、最後にこれだけは観ておこうと訪れた『RCサクセション』のライブに感銘を受け布袋寅泰に電話をかけ結成、というのは有名な話。1982年にデビュー、当初はホーンセクション2人を入れた6人編成だったがすぐに脱退、以降は氷室・布袋・松井恒松・高橋まことの不動の4人で活動する。8ビートのシンプルでポップなロックンロールにパンクの要素を加えた“ビートパンク”の発明、高度な演奏&歌唱テクニック、一見バラバラのように見えて、ステージ上では統一感が溢れているという細やかで斬新なヴィジュアル、メディアに媚びない姿勢などなど、1988年の解散という、僅か6年間(実質は5年ほど)で日本の音楽シーンを180度変えてしまった偉大なバンド。音楽好きの間では、「ボウイ以前」「ボウイ以降」と、J-POPの時代のひとつの区切りとして認識されている。

“GIGS”JUST A HERO TOUR 1986 1986年リリース

長いアルバムタイトルですが、「ボウイのGIGS(ギグス)」といえばたいていこのアルバムを指します(解散時のライブアルバムは「ラストギグス」)。

日本のロック史に残る、氷室京介の「ライブハウス武道館へようこそ!」「ここは東京だぜ!?」の名言が聞けるライブアルバムで、完全限定盤としてリリースされました。

この当時はまだ人気絶頂になる前であり、のちにプレミアがついて1枚20万円以上という、異常な価格になったこともあります(現在はデジタルリマスター版が再販されていて、普通の値段で購入できます)。

ボウイとしては中期~後期にかかる、いちばん勢いのあった最盛期のアルバムであり、これを聴くと、「ボウイってやっぱりライブバンドだったんだよなぁ…」とつくづく感じてしまう1枚です。

BOOWY THE BEST “STORY” 2013年リリース

BOOWY結成30周年を記念してリリースされた、2枚組のベストアルバムです。

ファンからの投票で選ばれた全32曲入り、今現在テレビのBGMなどでよく使われているBOOWYの曲は、ほとんどすべてこのアルバムに収録されています。最初に買う1枚としてはオススメです。

MORAL 1982年リリース

デビューアルバムで、のちのボウイの姿とは一線を画す1枚。

のちに「ボウイはパンクではない」とメンバーそれぞれが主張していくことになりますが、このアルバムを聴くと、氷室京介の書く詞のメッセージ性も含めて、ボウイの魅力の中にパンクの要素が隠し味として効いているというのがよくわかります。

“一線を画す”とはいうものの、このアルバムにはすでに「NO.NEW YORK」(本アルバム収録時のタイトルはNO N.Y.)や「IMAGE DOWN」といった、最後までライブの定番曲だったものも収録されており、彼らの音楽の骨格部分を知る意味でも大切な1枚だと思います。クレジットが“氷室狂介”となっているのも見所。

なお、通常の『MORAL』の他に、3曲プラスされた『MORAL+3』というのもあり、もしマニアではないのならプラス3の方をオススメします。

 

THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)

現在は『ザ・クロマニヨンズ』として活動中の甲本ヒロトと“マーシー”こと真島昌利を中心に1985年結成。当初はマネージャー役だった河口純之助がベースとして参加し、いちファンだった梶原徹也がドラムとして加入(ドラムの腕よりも「声が大きかったから」という話もある)し、最終的なメンバーが固まる。ほどなく全国のインディーズ好きの間に「東京にブルーハーツという凄いバンドがいるらしい」という噂がじわじわと流れるが、当時はインターネットなどない時代でもあり、87年のメジャーデビューシングル「リンダリンダ」を聴いて、当時の音楽ファン達は全員ブッ飛ぶことになった。BOOWYの登場以降、ありとあらゆる音楽ジャンル・ルックス・キャラクターを見ていたロックファンだったが、ここで原点回帰ともいえる、“3コードのパンクロックに聞き取りやすい日本語でメッセージを乗せる”という技法を見せ付けられて、ブルーハーツはあっという間にバンドブームの中心となっていった。1995年6月、ラジオの放送中に解散を発表。前年の夏からすでにブルーハーツは事実上の活動休止状態であり、「この放送時に今後の活動についての重大発表があるらしい」という噂が流れている中の解散宣言であった。

THE BLUE HEARTS 1987年リリース

1枚目のアルバムであり、通称“ブルーハーツのファースト”。ファンの中には「ブルーハーツのアルバムはこれ1枚がすべて」という人も。SEX PISTOLSのアルバム『勝手にしやがれ』と比較されることもある、日本(パンク)ロック史上に残る名盤です。

「リンダリンダ」、アニメ版『逆境無頼カイジ』の主題歌にもなった「未来は僕らの手の中」「終わらない歌」などなど、この時点でブルーハーツの名曲が半分出揃っている感じもあります。世間的な知名度は低いですが、「パンク・ロック」や「爆弾が落っこちる時」といった、隠れた名曲もあります。

アルバムを通して1曲も飛ばす必要のない、完成度の高いアルバム。ちなみに「リンダリンダ」はシングル版とアルバム版があり、相対的にはこちらに収録されているアルバム版のほうが評価が高いです。

現在はデジタルリマスター版もリリースされていますが、手を加えていないオリジナル版であっても、その良さは色褪せません。(ただし、オリジナルの方は音圧が低いので、パソコンで再生するにはあまり向かないかも?)

ザ・ブルーハーツ~ベスト・コレクション・イン・USA 1995年リリース

ブルーハーツがメルダック(レコード会社)時代にリリースした3枚のアルバム(『THE BLUE HEARTS』、『YOUNG AND PRETTY』、『TRAIN-TRAIN』)は“初期3部作”として人気が高いですが、もし最初に1枚買うなら?と聞かれたら、ファーストか、ベスト盤だと思います。

ブルーハーツのベスト盤はいろいろとリリースされていて、2010年にリリースされた『ALL TIME SINGLES』は全レーベルから網羅された究極のベスト盤なんですが、これはちょっと値段が高いので、敢えてまずはこのUSAベストを。

「リンダリンダ」や「人にやさしく」「トレイン・トレイン」「キスしてほしい」などのメジャーな曲はもちろん、「チェルノブイリ」や「ブルーハーツのテーマ」といった、なかなか音源にならなかった、隠れた名曲が収録されています。ライブ音源もあり(「僕の右手」、「ハンマー」)聴き応えのあるベスト盤だと思います。

SUPER BEST 1995年リリース

こちらもベスト盤ですが、これはメルダック時代、つまり初期のブルーハーツのベストナンバーを集めたアルバムです。前期ブルーハーツの決定版というべきもので、長い間ファンが音源化を待ち望んでいた「1985」と「ブルーハーツより愛をこめて」が初収録されたことで話題になりました。

特に「1985」はデビュー前に1回しか演奏されたことがなく、音源化も限定ソノシートのみ、なのにファーストアルバムのジャケットには“~すべての大人に感謝します」”と、歌詞のみが紹介されているという、新しいファンにとっては謎のナンバーでした(この曲も『ALL TIME SINGLES』には収録されています)。

先程も書いた通り、当時の少年少女にブルーハーツが与えたファースト・インパクトは凄まじいものがありました。後期の、音楽的に成熟に向かうブルーハーツももちろん美しいのですが、初期のナンバーを聴いて、かつてのバンドブームを少しでも感じてもらえたらいいな、と思います。

まとめ

いかがでしたか?

今回は、80年~90年代に日本のカルチャーシーンを席巻した『バンドブーム』において、押さえておくべき3つのバンドについて紹介しました。

次回はバンドブーム最盛期に“アイドル的支持”を得ていたバンドをピックアップしていこうと思います。

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