>【前編】はこちら< 日本国内にお城はたくさんあるように思いますが、天守閣まで現存して
2015/07/01(水)
『壇ノ浦の合戦』の戦場跡にも行ってきたよ!
前回・前々回の2回に渡って、宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った『巌流島』へ行ってきた話をしましたが。
巌流島のすぐ近くには、“源平の合戦”の最後の舞台となった『壇ノ浦』もあるんですよね。
せっかくなので立ち寄ってみました。
平家が滅びた地で…
関門海峡の本州側すぐそばにある壇ノ浦古戦場跡。地図アプリやカーナビなどには『みもすそ川公園』と書かれている場合もあります。
巌流島に渡る“あるかぽーと”(唐戸桟橋)から車で10分もかからないところにありました。
『1時間だけ駐車OK』と書かれていたので、関門トンネルの駐車場を利用させていただくことに…どうやら専用の駐車場はないみたいです。
前を走る国道9号線を渡ると、
『御裳川(みもすそがわ)碑』。ここが古戦場跡ですね。
昔はここに御裳川という川が流れていたそうです。平清盛の正室・平時子(二位尼)の辞世の句にも詠まれている川ですが、今は見えなくなっています。
壇ノ浦の古戦場であったことも記されています。ちなみに、写真の左側にうっすら見える陸地は北九州。門司港近くかなぁ?
で、石碑の後ろの緑色のパーテーションを見ても分かるように、今この公園は改装中なんだそうな。もうちょっとしたら、広い遊歩道付きの公園にリニューアルされるみたい。いつもタイミング悪いなぁ、僕は(苦笑)
工事現場の隙間から海を眺める…
都を追われ、兵庫を追われ、ここまで落ち延びてこられた安徳天皇はこのとき数え年で8歳だったということですから、実年齢は6歳ぐらいでしょうか?
ちょうど小学校1年生ぐらいですね。「極楽へ…きっと波の下に都がございましょう。」という二位尼に抱きかかえられて、この海に身を投げられたんでしたね・・・泣けてきます。。。
源義経と平知盛の像
公園の中央には、
源義経と平知盛(たいらのとももり)の巨大なブロンズ像が!
義経は…
凛々しいなぁ!有名な“義経の八艘飛び”でしょうか?
そして、相対する知盛は…
これも有名な“碇知盛”ですね、きっと。
義経に敵わず、平家の滅亡を悟った知盛が、亡骸が浮かび上がることのないように、大きな錨(碇)を体に巻き付けて入水したという…これも泣けてきます。
…たぶん、ここを訪れる多くの人が、どちらかというと義経のほうに注目されるんでしょうけれど。
僕は神戸生まれなので、“大輪田泊”や“福原京”に、なんというか、地元意識が働くというか…どうしても平氏のほうに肩入れしがち??
やっぱり義経のほうは美少年っていう感じですね。
すぐそばに長州砲も!!
義経と知盛の像のすぐ隣には、
長州砲がっ!
そう、関門海峡は『下関事件(馬関戦争)』の舞台でもあるんですよね。
攘夷を推し進める長州藩が、関門海峡を通る諸外国の船を砲撃した事件で、日本の近代化に大きな影響を与えた…っていうような話を、中学校の時に習った記憶があるなぁ。
よく見ると、
砲身に細やかな細工がしてあったりして、とっても美しいのだ!
この大砲の隣には、ズラっと!
車輪付き砲架に乗った長州砲!!もちろんレプリカですが、間近で見るとド迫力です。
人と比べてみると、
かなりの大きさでしょ?
ちなみにリアビューはこんな感じ。
かなり精巧に作られています。
そして!
これ、分かりますかね?砲口から煙が出ているでしょ?お金を入れたら空砲が撃てます!
…といっても、勝手に「ドーン、ドーン!」って音が鳴って煙が出るだけで、自分で撃っている感じにはなれないのですが(笑)
半日足らずで中世から近代までの歴史を学べる?
昼ごろに巌流島に上陸して、この「みもすそ川公園」を後にしたのが夕方4時ごろ。
のんびりと写真を撮ったりしながらでも、わずか4時間足らずで“巌流島”、“壇ノ浦の合戦跡”、“馬関戦争”という、3つの史跡を回れるなんて、これは歴史ファンにとってはかなり垂涎モノなのでは?
時代的にも、貴族社会から武家社会へ、そして武士から軍隊へ…と、なんだか一連の流れに沿っていますし。
しかも、すぐ近くには、
シロナガスクジラの骨格標本で有名な、下関市立水族館『海響館』もありますし、唐戸市場で新鮮な海産物のお土産も・・・
前回は「ちょっとモノ足りない感じ?」なんて書いてしまいましたけれど。
こうやって改めて見直してみたら、かなり観るべきトコロが多いんですよね、巌流島周辺って。ちょっと反省しています…